美容でも床屋でもないヒライケンタです
【Hair design Rodge.】を
Openするためにやるべき事が1つあったんですね
皆さんも
何か感じてもらえればいいかなって
話になっています
『親孝行的なお話です』
自分は親孝行って
20代前半は、あんまりしてない方だったと思うんですね
18歳で上京して
一人暮らしして
親の有難みとか感じていたんですが
なんとなく
当たり前にあるもので
いつでも、いいやって
考えて行動に移していなかったですね
特に父親には
本当に出来てなかったって思います
甘えている事の方が多いというか
完全に甘えていましたね
でも親って
そんな感じで
いつでもってところ
ありますよね…
助けてくれたり
頼れるといいますか
きっと
気づきにくいものだと思うんですね
誰でもそうなんだと思います
最初って
そんなものなんです
『26歳の転機』
当時は
業界のコンテストに出場しまくって
とにかく、必死に技術を学び
チャレンジして
自分の中で
この仕事で
これだってモノを確立したくて
20歳から
コンテストというコンテストに
出場しまくってました
ある種、そこが全てみたいになってましたが…
今、思えばバランスってモノを
もう少し考えられる
人間性を磨いていればな…って
思うんですが
そんな時期があったから
自分の人生を少しずつ修正して
自分の出来る道を
選択出来てきたんじゃないかなって思います
当然、現在も模索しているんですけど
終わる事はなくて
常に自分探しスタイル探しの旅なんだろうと思います
話がそれてしまいましたが、
26歳まで苦難の道を歩き
コンテストと自分のスタンスに変化があったんですね
【父親の緊急搬送】
当時、サロンに電話が入って
状況を整理出来ないまま
新幹線で実家まで
急いで帰ったのを
今でも鮮明に覚えています
心臓停止…
助からない…
早く帰ってきて…
自分は長男で
シッカリしなきゃって気持ちが強くて
泣きじゃくる家族よりかは
少し冷静に
その現状を自分の中で飲み込んでいたと思います
集中治療室に入るなり
主治医の先生から
生存率の低さの説明を受けました
不思議と色々な事を考えるもんですね…
その後に
変わり果てた父親の姿を見て
言葉を失いました
あぁ
助からないって本当かもしれない
人間って
あんな姿になってしまうんだなって
管という管を全身に付けられて
医療機器に囲まれて
自分の父親がパンパンに膨れあがっていたんです
何日か経過した時に
状況の変わらない
深い夜の事でした
自分は一人、集中治療室に入り
父親の隣の座り
無言の会話をしました
話しかけても
言葉はありませんが
心の中で話ました
あの時が自分の人生で一番
父親に言葉にならない言葉をぶつけていたかもしれません
彼の背中が大きすぎて
初めて自分が
子供で守られていたんだなって
急に
大きく冷たい壁が自分の前に
現れたようでした
戦場に放り込まれた気分でしたね
彼は仕事も多忙な人で
そんなに関わっていたかというと
そうでもないんですが
仕事面でスゴく尊敬していました
あぁ
何にも
教えてもらってないな
何も
してあげられなかったな
何も
伝わらないなって
無力な自分に
さらに追い打ちを
かけるように
思ったんですね…
自分は髪の毛を切る
仕事をしていながら
自分の父親だけ
髪の毛を切ってあげてなかったんですね
バカですよね…
男同士の照れというか
正直、そんなの関係ないんですが
色々な事が邪魔して
髪の毛を切ってあげる事が出来なかったんですね
そしたら
今まで泣かないように
ずっと毅然と振舞っていた自分が
嘘のように
泣けてきて
なんて親不孝なんだって
自分の親の
髪の毛切れないなんて
バカ過ぎる
最低な息子だ
嗚咽ついて泣いたの
覚えてます
長い夜でした…
『奇跡ってあるんだな』
2週間くらい症状の変わらない日々が続いた
ある日
父親の容態に変化があったんですね
手が動くようになったんです
確かな【希望】でした
少なくても
何かが変わる期待がありました
そこから、
2週間かけて
父親の容態は良くなっていき
一命を取り留める事になりました
約2カ月くらいの入院生活で
何度も手術などを繰り返し
完全な身体ではないですが
自分らが知っている父親に戻れたんですね
まさに奇跡的な復活でした
26歳の自分にとっても
人生を考える日々になりました
もちろん
元気になった病棟の洗面台で
髪の毛を切るという
【親孝行】を果たせたのは言うまでもない
特に照れる事もなく
1櫛1鋏の1つ1つを
大切にして自分の出来る当時の
【仕事】が出来た事が本当に
感謝しかなかった
彼が
どう思っているのかは
わからないけど
当時は
自己満足でも
【親孝行】出来たって気持ちが
悩んでいた自分を救ってくれたんですね
人生で忘れられない仕事の一つ
『自分の仕事の在り方』
この頃
コンテストのシーンから身を引く事を決意
辛かったですね
成し遂げてない事があったので
【忘れもの】してきたんですよね
でも、その【忘れもの】より
大切な事に今回
気付かされたんですね
自分が関わってきた人の髪の毛を切りたいって
【仲間】
【先輩】
【後輩】
【世話になった人】
【家族】
【応援してくれる人】
【自分のお客様】
【バンドマン】
【お仕事で関わっている人】
自分が後悔しないように
たくさんの人を切ってあげる
こういう精神が芽生えたんですね
これが
【Hair design Rodge.】の精神的部分の礎である事は
間違いないと思います
これを
教えてくれたのは
【父親】っていう
言葉ではなく
経験として教えてくれた事
自分のサロンを出す目標と同時に
自分のしたいこと
すべき事が明確になっていった瞬間でもありました
ですから
自分の同級生が現在
【Rodge.】に遠くから足を運んでくれる事は
幸せな事でしかないんですね
それだけじゃない
ご来店された皆様には感謝、申し上げます
『親孝行という夢』
いざ自分のサロンを立ち上げるべくして
本格的に動いて
約2年の間に
1つの夢が出来たんですね
それが
【1番最初に父親を招いてカットする事】
これだったんですよね…
これって
【親孝行】かなって
ハサミを、もって15年
ようやっと実った執念が
【Rodge.】
みんなから愛されるサロンが完成して
初月から大賑わいの
このサロン、
やはり
1番、最初に座るのは
彼しかないと思ったんです
そんな
Opening イベントとしては
相応しい
家族の団欒が
叶わなかったかもしれない
この瞬間が
本当に素晴らしい瞬間というか
稀有な出来事だったと
自分は思っています
こんな風にカタチに出来たのも
結局は彼の存在がどこかに
常にあったからなんじゃないかなって思います
何も出来なかった自分を
ここまで連れてきてくれたのは
他でもない彼と自分の人生の
出来事が生み出したのかもしれない
親孝行に正解なんてないし
これかも
髪の毛を切り続けるのですが
こうやって
記念に残るのは
良いものだと感じる
【美味しいものを食べる】
【旅行に行く】
それらも
とても素晴らしい
でも自分にしか出来ない
自分だけの【親孝行】が
ココ【町田 Rodge.】にあったのだ
これも
もしかしたら
自分勝手な感情なのかもしれないけど
電話で
申し訳ないんだけど
1番、最初に座ってほしいから
「町田まで来てくれないか??」
って誘えて本当に良かったと
思っている
些細な事かもしれない
とても小さな事かもしれない
けれども
【Hair design Rodge.】が
15年の時間をかけて
出来あがった事と
ヒライケンタが
父親の33年間の子供として
この日を迎えられた事に
自分の人生の救いを感じる事が出来たのは
この業に誇り持って
生きているって事だと思ってます
きっと
皆さん
違うカタチで
人生の岐路にたたされて
困難に向き合って
日々、過ごされていると思います
自分よりも苦労されている人も多いはずです
ただ…
この【Hair design Rodge.】は
そういう
【オモイ】持った人間が居る場所だと思っていただきたいです
この仕事に自信と誇りを持って
向き合っています
わざわざ言葉にするものでもないですが
書きたい事の
一つでしたので
記しました
ありがと
とにかく
良き時間でした…
ありがと
『Hair design Rodge.』
〒194-0021
東京都町田市中町1丁目30-3
オーバルコート 101
Tel/Fax 042-850-9680
【Web予約はコチラ】
【Rodge.行き方はコチラ】
町田 Hair design Rodge.は
完全予約制の隠れ家的ヘアサロンです
【メンズ】
【レディース】スペースの2席だけで
ラグジュアリーな時間を過ごすことが出来ます
内装は秘密基地みたいな
外の感じが気にならない
遊び心のある
贅沢な空間になっております
ヒライケンタが一人一人を
丁寧に担当して施術する
マンツーマンスタイルです
予約が取りにくくなっておりますが
出来る限りの対応を努めておりますので
ご理解を宜しくお願い致します
町田にある
【メンズが通いやすいサロン】
【女性が癒されるサロン】として
町田の一角を照らしいきます
髪と音楽と町田
Have a good time!!
親孝行とは??
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